東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドで、常務執行役員人事本部長を務める神原里佳さん(56歳)。39歳で初めてマネジャーとなり、46歳のとき同社最年少で執行役員に就任するなど、はたから見れば輝かしいキャリアを歩んでいます。しかし本人は「管理職には絶対になりたくなかった」と振り返ります。上編では、昇進に後ろ向きだった神原さんがどのように「マネジメントの醍醐味」に目覚めていったのかを深掘りします。

(上)オリエンタルランド常務 覚悟のない昇進「部下に失礼」と猛省 ←今回はココ
(下)オリエンタルランド常務 「ド素人部長」でもなぜ人はついてくる?

20代前半で数百人のチームを率いる難題に直面

編集部(以下、略) オリエンタルランドは就職先としても常に人気ですが、神原さんも希望して就職したのですか?

神原里佳さん(以下、神原) 元々は雑誌作りに興味があって出版社を志望していましたが、かなわず、その他に内定をもらえた企業の1つが当社でした。ディズニーやパークに興味はありましたが、「ディズニーが大好き!」というわけでもありませんでした(笑)。だからこそ会社に対して過度な先入観はなく、一つ一つの仕事に新鮮な気持ちで取り組んでいけたのはよかったと思っています。

東京ディズニーシーの新エリア「ファンタジースプリングス」の開業を目前に控えた某日、パークに隣接するオリエンタルランド本社で神原さんに話を聞いた。神原さんは、オリエンタルランド現・会長兼CEO(最高経営責任者)の髙野由美子氏などに次ぐ、同社の女性では3人目の執行役員経験者
東京ディズニーシーの新エリア「ファンタジースプリングス」の開業を目前に控えた某日、パークに隣接するオリエンタルランド本社で神原さんに話を聞いた。神原さんは、オリエンタルランド現・会長兼CEO(最高経営責任者)の髙野由美子氏などに次ぐ、同社の女性では3人目の執行役員経験者

神原 新卒入社後は東京ディズニーランド内の総合案内所やコールセンターで接客業務を担い、2年目からはそこのチームリーダーとして働きました。当社の仕事はどこの組織でもチームプレーが欠かせないので、早いうちにパークでリーダー経験を積んでもらうというのが現在まで変わらない新人育成方針です。振り返ってみると、あの時の経験がマネジメントの仕事の原点だったと思います。

 数百人いるキャストの組織を5~6人のリーダーが時間交代制で率いていくのですが、23、4歳の自分には簡単なことではありませんでした。アルバイトのキャストには自分と同年代の若者から長年勤務しているベテランまで幅広い年齢層のいろいろなタイプの方がいました。スキルも経験も未熟な自分が、この人たちのやる気を引き出し、チームとして最高のパフォーマンスを発揮していくにはどうしたらいいか、試行錯誤していました。

―― 若き日の神原さんは、どのようにチームづくりをしたのでしょうか?

神原 まずはメンバー一人ひとりがどんな人なのかを知るため、対話を増やすようにしました。面談という形ではなく、日常の業務の中で何気ない会話を重ねながら、その人のパーソナリティーを知り、相手にも自分を知ってもらうよう努めました。「この人は仕事に何を望んでいるのか」「どんな言葉をかけたら充実感を覚えるのか」、そうしたことを日々考えながら接していました。最初のうちは、聞き出したみんなの要望に応えようとしすぎて、組織として回らなくなってしまった失敗もありましたが、個々のパーソナリティーを理解していくと、徐々に組織を回していくコツがつかめるようになっていきました。

 当時のチームは、上司と部下という関係より、クラブ活動の部長と部員のような雰囲気でしたが、この頃、悩みながら築いたマネジメントのスタンスは、その後、マネジャー、部長、執行役員となった現在まで、基本ずっと変わらずに生きています。

神原里佳さんがぶつかったマネジメントの壁<初めて管理職になったときにぶつかった壁は?>つまらなそうな○○としての仕事を、引き受けることになった<その壁をどう乗り越えた?>管理職の仕事は○○でいくらでも楽しくなると気がついた