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青年学校(せいねんがっこう)とは、1935年(昭和10年)に公布された青年学校令に基づき設置された、かつての日本における教育機関である。太平洋戦争終戦後の学校教育法が制定されるまで存在した。
青年学校は当時の義務教育期間である尋常小学校(のちに国民学校初等科)6年を卒業した後に、中等教育学校(中学校・高等女学校・実業学校)に進学をせずに勤労に従事する青少年に対して社会教育を行っていた。青年学校が設置される前は、実業補習学校と青年訓練所がこの役割を担っていた。この2つの教育機関は、教育の対象となる年齢層の一部・教育内容・施設等に関して共通する部分が多く、2つの独立した教育機関を併存させることは地方公共団体の財政負担を重くするなどの問題点があった。これを解消するため、実業補習学校と青年訓練所を統合して設置されたのが青年学校である。
開始時(修了時)の年齢 |
青年学校の学年 |
他の旧制学校・学年(1946年(昭和21年)時点) |
現在の学校・学年
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12歳(13歳) |
青年学校普通科1年 |
国民学校高等科1年、中等教育学校(旧制)1年、高等学校(旧制)尋常科1年 |
新制中学校1年
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13歳(14歳) |
青年学校普通科2年 |
国民学校高等科2年、中等教育学校(旧制)2年、高等学校(旧制)尋常科2年 |
新制中学校2年
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14歳(15歳) |
青年学校本科1年 |
国民学校特修科、中等教育学校(旧制)3年、高等学校(旧制)尋常科3年、師範学校予科1年 |
新制中学校3年
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15歳(16歳) |
青年学校本科2年 |
中等教育学校(旧制)4年、高等学校(旧制)尋常科4年、師範学校予科2年 |
新制高等学校1年
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16歳(17歳) |
青年学校本科3年 |
中等教育学校(旧制)5年、高等学校(旧制)高等科1年、師範学校予科3年、大学予科1年 |
新制高等学校2年
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17歳(18歳) |
青年学校本科4年 (男子のみ) |
高等学校(旧制)高等科2年、師範学校本科1年、大学予科2年 専門学校(旧制)1年、高等師範学校1年 |
新制高等学校3年
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18歳(19歳) |
青年学校本科5年 (男子のみ) |
高等学校(旧制)高等科3年、師範学校本科2年、大学予科3年 専門学校(旧制)2年、高等師範学校2年 |
新制大学1年
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- 前史
- 実業補習学校#歴史も参照。
- 義務教育の尋常小学校6年修了後、高等小学校や中等教育学校に進学せず、勤労に従事する青少年の教育機関として設けられていた実業補習学校は、特に農村部における農業補習学校の隆盛をもって社会教育の一環としての需要を満たしていた。
- これは、実業補習学校の教育目的が他の実業学校(工業学校や商業学校・農業学校など)とは性格を異にしており、既に職業に従事している青少年に対する実務教育機関としての役割を担っていたことから、多くの実業補習学校は小学校に付置され、また、明治末期から大正年間に掛けて行われた青年団の振興政策とリンクし、これら勤労青少年の社会教育機関として定着して行ったことによるものと思われる。特に農村部においては、現代と違い機械化も進んでおらず、人手の欠かせない農繁期などを踏まえ、中等教育機関へ進学することができなかった事情とも相まって発展したものと見られる。
- 1926年(大正15年)、16歳以上の勤労青年男子を対象とし、労働の合間の余暇に修身及公民科、普通学科、職業科、教練科を教える教育機関として青年訓練所が創設された(「青年訓練所令」)。略称は「青訓(せいくん)」。一般に青年訓練所は、16歳以上の男子に対して4年間の課程で軍事教練を施す教育機関とされ、訓練修了者は陸軍歩兵科に徴集された場合に限られはするが、兵営において所定の検定に合格することで在営年限半年短縮という特典をうけることができた。ただし創設当初は反対運動も根強く、有名なものとしては長野県下伊那地方の連合青年会による青年訓練所設置反対運動がある。
- 青年学校の発足から廃止まで
- 青年訓練所と実業補習学校は、教育を受ける年齢層が一部重なり(実業補習学校後期課程が16歳以上に及ぶ場合)、一部の生徒は「二重学籍」状態であったことなどから、これらの教育機関を統合・拡充されることとなった。
- 1935年(昭和10年)4月1日
- 「青年学校令」(昭和10年勅令第41号)が公布・施行され、青年学校が設置される。
- 文部省と陸軍省による協力体制の下で、実業補習学校としての職能実務教育と青年訓練所としての軍事教練の役割を青年学校に持たせた。
- 目的 - 「男女青年に対し、その心を鍛錬し、徳性を涵養すると同時に職業および実際生活に必要な知識・技能を授け国民としての資質を向上させる」
- 設置主体
- 設置・廃止の認可 - 道府県立の青年学校は文部大臣、その他の青年学校は地方長官が行う。
- 授業料 - 原則として無償。
- 設置学科
- 普通科 - 入学資格を尋常小学校卒業者(12歳以上)、修業年限を男女ともに2年とする。
- 本科 - 入学資格を普通科修了者または高等小学校卒業者(14歳以上)、修業年限を男子5年・女子3年とする(1年の短縮も可能)。
- 研究科 - 入学資格を本科修了者、修業年限を1年以内とする。
- 専修科 - 入学資格を本科修了者とする(修業年限の規程なし)
- 「青年学校教員養成所令」(昭和10年勅令第47号)・青年学校学校教員養成所規程(昭和10年文部省令第6号)の公布・施行により、青年学校教員養成所を設置(実業補習学校教員養成所等を改組・改称)
- 1939年(昭和14年)4月26日 - 昭和14年勅令第254号により、青年学校令が改正される。
- この年の普通科入学生(男子のみ)から普通科・本科の計7年が義務教育期間に加わる(尋常小学校6年と合わせると計13年間)。
- 改正前に入学した男子生徒に関しては、義務教育は適用されない。
- この年の入学生が本科5年生になる1945年度(昭和20年度)に青年学校7年間の義務教育が完成する予定であった。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行
- 青年学校令の条文の中にある尋常小学校を国民学校初等科に、高等小学校を国民学校高等科に改める[1]。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 師範教育令一部改正(昭和19年勅令第81号)により、官立(国立)青年師範学校が設置される(青年学校教員養成所を改組・改称)。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 決戦教育措置要綱[2] が閣議決定され、昭和20年度(同年4月から翌3月末まで)授業が停止されることとなる。
- 5月22日 - 戦時教育令が公布され、授業を無期限で停止することが法制化される。
- 8月15日 - 終戦。
- 8月21日 - 文部省により戦時教育令の廃止が決定され、同年9月から授業が再開されることとなる。
- 9月12日 - 文部省により戦時教育を平時教育へ転換させることについての緊急事項が指示される。
- 1947年(昭和22年)4月1日
- 学校教育法の施行に伴い、青年学校令が失効。
- 学制改革(六・三制実施、新制中学校の発足)により、青年学校の普通科は廃止の上、その施設・教員・生徒は新制中学校に移管される。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 青年学校の本科は廃止の上、大半が新制高等学校の定時制分校として新制中学校に併置され当分の間職業教育活動を継続した。
学科によって次の科目を教授することが青年学校令で規定されていた。
- 普通科
- 男子 - 修身および公民科・普通学科・職業科・体操科
- 女子 - 修身および公民科・普通学科・職業科・家事および裁縫科・体操科
- 本科
- 男子 - 修身および公民科・普通学科・職業科・教練科
- 女子 - 修身および公民科・普通学科・職業科・家事および裁縫科・体操科
- 研究科 - 本科の科目に関連して必要に応じて定める。ただし修身および公民科は必須科目とする。
太平洋戦争開戦後は「戦時動員体制」のさなか,公立・私立を問わず青年学校の多くは軍需生産力の増強に向け、学科標準時数の引き下げや、職業科科目の実習(と言う名の勤労動員)への振り替えなどが勧められ、制度上は教育機関であったが、その実は戦時下の動員体制に組み込まれ、教育内容そのものの空洞化が進行した。
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1944年(昭和19年)に官立青年師範学校が設置されたことにより、その附属青年学校として設置された。公立の青年学校が附属青年学校に代用されることが多かった。
小学校(国民学校)に併置されるものが多かった。
- 栃木県
- 群馬県
- 埼玉県
- 千葉県
- 東京都
- 神奈川県
- 牛久保町牛久保青年学校
- 相原村旭青年学校(1936年、旭小学校に併設して開校)
- 茅ヶ崎市立青年学校
- 富山県
- 石川県
- 福井県
- 山梨県
- 長野県
- 静岡県
- 岐阜県
- 愛知県
- 鳥取県
- 米子市立青年学校
- 余子村余子青年学校
- 渡小学校併設青年学校(1935年)
- 組合立久米青年学校(1943年) - 社・北谷・高城の青年学校を合併した[3]
- 島根県
- 岡山県
- 広島県
- 福岡県
- 長崎県
- 熊本県
- 大分県
- 宮崎県
- 鹿児島県
- 沖縄県
- ^ この時の国民学校初等科入学生(男女とも)より初等科6年と高等科2年を合わせた8年間が義務教育期間とされ、国民学校令附則46条により1944年(昭和19年)より開始することになっていた(ただし結局は教育ニ関スル戦時非常措置方策により延期された)。また当時の政府教育審議会ではさらに、国民学校高等科2ヵ年の義務化・青年学校普通科の廃止による、8・5制による義務教育制度の実現に向けて審議を行っていたが、折からの中国戦線の拡大や、1941年(昭和16年)の太平洋戦争の開戦などから、8・5制の実現を見ることはなく国民学校高等科・青年学校普通科は並立した。
- ^ 国民学校初等科を除く学校の昭和20年度1年間の授業停止を決定した。
- ^ 社村青年学校のページ
学校令:1886年(明治19年)〜1947年(昭和22年) |
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前史 |
学制:1872年(明治5年)〜1879年(明治12年)⇒第一次教育令:1879年(明治12年)〜1880年(明治13年)⇒第二次教育令:1880年(明治13年)〜1885年(明治18年) ⇒第三次教育令:1885年(明治18年)〜1886年(明治19年)
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初等教育 |
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中等教育 |
(尋常)中学校 |
第一次中学校令:1886年(明治19年)〜1890年(明治23年)⇒第二次中学校令:1899年(明治32年)〜1943年(昭和18年) ⇒中等学校令:1943年(昭和18年)〜1947年(昭和22年)
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高等女学校 |
高等女学校令:1899年(明治32年)〜1943年(昭和18年)⇒中等学校令:1943年(昭和18年)〜1947年(昭和22年)
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実業学校 |
実業学校令:1899年(明治32年)〜1943年(昭和18年)⇒中等学校令:1943年(昭和18年)〜1947年(昭和22年)
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高等教育 |
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教員養成 |
(尋常)師範学校 高等師範学校 女子高等師範学校 |
師範学校令:1886年(明治19年)〜1897年(明治30年) ⇒第一次師範教育令:1897年(明治30年)〜1943年(昭和18年) / 女高師はこれ以降の規定 ⇒第二次師範教育令:1943年(昭和18年)〜1947年(昭和22年)
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青年師範学校 |
青年学校教員養成所令:1935年(昭和10年)〜1944年(昭和19年)⇒第二次師範教育令:1944年(昭和19年)改正〜1947年(昭和22年)
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その他の学校 |
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その他通則 |
諸学校通則:1886年(明治19年)〜1900年(明治33年)
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関連法令 |
帝国大学官制:1893年(明治26年)〜1897年(明治30年) / 1946年(昭和21年)〜1947年(昭和22年) / 国立総合大学官制:1947年(昭和22年)〜1949年(昭和24年) 学習院学制:1884年(明治17年)〜1947年(昭和22年) 朝鮮教育令:第一次 - 1911年(明治44年)〜1922年(大正11年) / 第二次 - 1922年(大正11年)〜1938年(昭和13年) / 第三次 - 1938年(昭和13年)〜1952年(昭和27年)失効 台湾教育令:第一次 - 1919年(大正8年)〜1922年(大正11年) / 第二次 - 1922年(大正11年)〜1952年(昭和27年)失効 戦時教育令:1945年(昭和20年) - 学校教育法:1947年(昭和22年)〜 - 国立学校設置法:1949年(昭和24年)〜2004年(平成16年)
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関連項目 | |
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