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2018年の内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞受賞式典 授賞者安倍晋三と受賞者大谷翔平
日本プロスポーツ大賞(にほんプロスポーツたいしょう)は、公益財団法人日本プロスポーツ協会が制定する賞。
日本のプロスポーツ表彰では、スポーツ報知(報知新聞社)主催「報知プロスポーツ大賞」と並ぶ、権威の高い賞である[要出典]。大賞・殊勲賞・特別賞・最高新人賞・功労賞などが決定し、大賞には内閣総理大臣杯が贈られる。
マスコミ各社の運動部長、もしくはそれに準ずる役職の人間が選考委員となり、総数54の1回投票で選定する[1]。選考委員が属するマスコミとは、三大紙を始めとする一般紙、スポーツ紙、夕刊紙、地方紙、通信社、英字新聞、在京テレビ局、地方局、UHF局、衛星放送、AM・FM全局と一部の地方局が連なる[1]。この記者投票制で選考するようになったのは、7年目の1974年からである[1]。
第6回目までは大賞候補として、数名の選手を事前にエントリーし、組織の理事による内々の投票で決めていた[1]。候補者の属する競技の代表者が全体会議の場で、推す候補者をアピールする演説をした後に、投票が行われていた[1]。
後年、同協会の副会長となる山口弘典によると、当時の同賞は参加団体の親睦会程度のもので、読売新聞社への配慮もあり、隔年で読売が推す候補者が選ばれてきた[1]。第6回の1973年は、三冠王獲得、野村克也の通算本塁打記録を抜き、読売ジャイアンツV9に貢献した、プロ野球の王貞治が本命だった[1]。しかし受賞したのはキックボクシングの沢村忠で、彼が受賞できるよう、格闘技プロモーターの野口修が暗躍していた[1]。これが原因で、翌年から公平に選定しようと記者投票制になり、この結果に怒った読売は、新たに報知プロスポーツ大賞を設けている[1]。
日本プロスポーツ協会の組織運営に問題があることを理由に日本野球機構が協会を脱会[注 1]したことがきっかけで、2019年度から2021年度まで表彰が中止となっていた[3][4]。日本野球機構は2022年12月に再加盟しており[5]、2022年度は4年ぶりに実施された[6][4]。この時最高新人賞に代わり新たに敢闘賞が設けられたが、翌年には敢闘賞を維持した上で最高新人賞も復活している。
※はNHK賞も受賞
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2019年から2021年は表彰休止 |