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1944年7月、カーンの戦い(英語版)で破壊された村に戻るフランスの家族
戦後(、英: Post-war、仏: après-guerre)または戦後期(せんごき)は、戦争の終結後の短期または長期的な期間を指す言葉・概念。用語としての戦後は、通常、1945年に終わった第二次世界大戦後の期間を指す[1]。同じ当事者間の戦争が再開された場合、戦後期は、のちに戦間期になることがある。 たとえば、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の期間である。
大きな戦争を一つの時代の区切りとして、戦前・戦中・戦後という区分をする。
「戦後」という用語は、異なる地域や国によって異なる意味を持ち、各地での戦争の影響や戦後処理によっても期間が異なってくる。ここでは、戦後の主要な出来事を簡単に示す。
21世紀の2023年(令和5年)現在の日本において、戦後とは、直近の戦争で20世紀の1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結(終戦)後を指す。日本人にとって精神的に大きな影響を与えた1945年(昭和20年)8月15日(終戦の日)以降を戦後の始まりとし、「戦前・戦中」「戦後」として区分し、認識されている場合が多い。この1945年(昭和20年)を「戦後0年」として、その後の年は「戦後n年」と表現される。2024年は「戦後79年」に当たる。「近代」の終わりと規定する考察もある。
日本においては戦後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)により様々な戦後改革が実施されたこと、連合国軍占領期以降イギリスやアメリカ合衆国、フランスなどからの文化が戦前より広範にもたらされたこと、新技術が開発されたこと、高度経済成長を遂げたことなどにより、戦前・戦中に比べて社会システムが急速に大きく変化したため、他の国よりも「戦後」という言葉のもつ意味合いは大きい。日本は第二次世界大戦以後、大規模な国際紛争・戦争に巻き込まれていないため、「戦後」=「第二次世界大戦後から現在」というイメージが固定されている。
ただし、その時期については明確な定義はなく、戦中の始まりを満州事変とするか、盧溝橋事件とするか、真珠湾攻撃とするかなど人によって差異がある。日本が再び国際社会の一員となり、「もはや戦後ではない」[注 1] といわれた1956年(昭和31年)までの激動の期間と定義する意見もある。
太平洋戦争(大東亜戦争)終結を具体的にいつとみなすかは種々の意見があるため、“戦後”の始まりについても同様に種々の意見がある。
“戦後”という用語・概念は、日本人・日本にとって大きな変革を及ぼした。第二次世界大戦の経験を踏まえ、国民主権と戦争放棄・恒久平和主義を謳う日本国憲法を新たに制定した日本はアメリカ合衆国と軍事同盟を締結し西側陣営の資本主義・民主主義国家の一員として国際社会に復帰し、高度経済成長で世界第2位の経済大国となったが、1990年代以降低成長期に転じ、さまざまな論争が行われている。
第二次世界大戦(1939年 - 1945年)以降も10年から20年単位で不正規戦争を繰り返しているアメリカ合衆国では、「戦後(post-war)」という概念は存在しない[要出典]。辛うじて同国史上唯一の内戦である南北戦争を境に「戦前(antebellum, pre-war)」「戦後(postbellum, post-war)」といわれることもある。
イギリスでは、1945年のクレメント・アトリー政権から 1979年のマーガレット・サッチャー政権までの期間を、Post-war consensus(戦後コンセンサス期間)という。
スイスで「戦後」は一般的に1815年以降(ナポレオン戦争後)のことを指す。1815年のウィーン会議においてスイスは国家としての「永世中立国」が認められたからである。第一次世界大戦と第二次世界大戦でも武装中立を維持し積極的に戦争には加わらなかったため、他のヨーロッパ諸国とは違い1815年からの「戦後」は続いた。