ヤクザとは日本社会における特殊な病理集団を指す言葉である(出典:大橋薫『都市の社会病理』、以下『大橋』と略)。この偏き集団(「き」はりっしんべんに奇)」を特徴づける要因の一つに集団内部の「親分子分」の結合がある。ちなみに「広辞苑」ではカタカナではなく、ひらがな表記の「やくざ」である。(出典:広辞苑)
「やくざ」研究の古典的名著とされる岩井弘融の『病理集団の構造』(以下『岩井』と略)の序説で「親分乾分(岩井は故意に、乾としている)」の関係は民俗学(柳田國男他)や社会学(川島武宜他)において説明されるところのオヤカタ・コカタの関係と共通の社会的基盤を持つと説明している。
太平洋戦争直後に来日したニューヨーク・ポストの特派員ダレル・ベリガンは、その著作で有名な『やくざの社会』の中で「日本の家族は与太者の集まりであり、家族の長は与太者の長である」という文から始まる、日本社会の内部構造についての報告をまとめている。また、かつて横浜の塚越一家に所属した右翼活動家の野村秋介は、「やくざ」について説明する際に「やくざとは職業ではなく」、「実業家、ジャーナリスト、政治家にもやくざは存在する」と発言したが(出典:『暴力団新法』)これも個人間の繋がりとして絶対的権威(親分)と追随者(子分)の関係が広く社会で見られる点を示唆するものである。
ただし、その上で「やくざ」を特徴づけている別の内部要因として、集団の共通目的、成立の社会的条件、存続のための経済的活動、社会的価値基準から逸脱した副次文化等がある。ジャーナリストの朝倉喬司は現代の制度的空間や価値基準との関連において「暴力団」と呼ばれるとしている(出典:『ヤクザ』)。
概要
多くのヤクザは「暴力団員」という呼ばれ方を嫌い、特に自称では「極道」、「侠客」ということがある。
ヤクザを指す隠語には「ヤーさん」、「ヤー公」、「ヤのつく人」、「ヤっちゃん」、「ヤのつく自由業」、「その筋の人」、「筋者」、「893」、「カラフルさん」などがある。また主に警察などで使われているものとして「マルボウ」などがある。
また、特定の暴力団にアルファベットで内部分類コードを付けて「マルB(暴力団=Bouryokudanの頭文字)」、「マルG(極道=Gokudouの頭文字)」などと呼ぶこともある。ヤクザを示す動作としては、頬の辺りに指を斜めに滑らせて、傷を表現するものがある。
ヤクザ文化は他国では類を見ないもので珍しさもあってか、現在では「ヤクザ」という言葉が通じる国も多い。テレビゲームでも、アメリカ製の『Grand Theft Auto III』に日本のマフィアが「ヤクザ」の名称で登場していたり、日本製の『龍が如く』が海外で『Yakuza』というタイトルで販売されていたりするといった例がある。また、北野武監督のヤクザ映画も海外で人気が高く、ヤクザの知名度を上げる一つの要因になっている。
歴史
日本の「ヤクザ」という言葉は本来、「博徒」と「的屋」(香具師)の2つの起源を持つといわれる。
博徒の起源は平安時代で、任侠の徒“侠客”の起源は室町時代とされ、「渡世人」とも呼ばれた。的屋は「香具師」とも称する。江戸時代、賭博は重犯罪として厳しく取り締まられていたが、江戸中期以降には常習的に賭博を行う博徒の集団が現れ、現代に至っている。江戸のヤクザと京都・大坂など上方のヤクザは区別される。一方、的屋は「非人身分」とされていた。江戸時代には寺社の境内などで賭博を催し収入(いわゆるテラ銭)を得ていた。都市部だけでなく地方にも存在する。今現在に至るまで「社会の枠組の外」の人々である。
語源
「ヤクザ」という言葉の語源ははっきりしていないが、賭博用語が語源であるとする説が通説となっている。花札を使った三枚(またはおいちょかぶ)という博奕では、3枚札を引いて合計値の一の位の大小を競う。8・9の目が出れば17となり、一般的な常識人にとっては“7”の場合「もう一枚めくる」事はしないのだが、投機的で射幸心が強く、且つ非常識な輩は そこで「更に一枚を引く」。果たして結果、“3”を引いてしまい、最悪最低の得点である“0(8+9+3=0)”となってしまう。この様な行動パターンや人生設計が「極道モノ(ヤクザ)」の生き様そのものであり象徴的なのである。 8・9・3を続けて読んだ「ヤクザ」が「役にたたないもの」を意味するようになり、それが転じて博徒集団のことを指すようになったとする。
他に、歌舞伎役者の派手な格好を真似た無法者(傾(かぶ)き者)のことを「役者のような」と言っていたことから「ヤクシャ」が訛って「ヤクザ」になったという説、「役戯れ」(やく ざれ)から来たという説、「やくさむ者」からという説、更には昔、喧嘩などの仲裁を行う者を「役座」と呼んだことに由来するという説(飯干晃一)もある。また、儒教において数字の8・9・3は悪数(縁起の悪い数字)としていることから、そこから由来するのではないかとの説もある。
他説では博徒集団の貸元、若頭、舎弟頭の三役(サンヤク)の隠語とも言われる。
組織
「組」の名称
1884年の「大刈込み」(賭博犯処分規則により賭博犯すなわち博徒は裁判なしで10年の懲役という弾圧下に置かれる)への対策として博徒の多くは土木建築請負の看板を上げ「組」を名乗るようになった(鶴見騒擾事件より)。これ以前は屋号(例えば清水次郎長は「ヤマチョウ」、会津小鉄の一門は「大瓢箪」)を用いた。一家を名称とするのは、明確ではないが明治・大正期に多く使われている。的屋の影響と推察されるが明確ではないし内務省の掛かりがつけた可能性もある。ちなみに明治の『東海遊侠伝』では次郎長を漢語で「大哥」と呼んでいるが中国でも目上の人や親分には「哥」を附ける。日本語のイメージでは親分ではなく「兄貴」あたりであろう。
登場する作品
関連項目