www.fgks.org   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

「アメリカ合衆国憲法」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
MIsogi (会話 | 投稿記録)
65行目: 65行目:


==== 連邦最高裁による著名な判例 ====
==== 連邦最高裁による著名な判例 ====
*'''マーバリー対マディソン事件'''判決(Marbury v. Madison)-[[合衆国議会]]の承認する[[法律]]が[[合衆国憲法]]に従っているか否かを決める権力(Judicial review)が最高裁にあると示した。
*'''プレッシー対ファーガソン事件'''判決(Plessy v. Ferguson, 163 U.S. 537(1896)) - [[1896年]]、[[人種]]別公共施設の設置について「分離すれども平等(Separate, but Equal)」と判示した。
*'''プレッシー対ファーガソン事件'''判決(Plessy v. Ferguson, 163 U.S. 537(1896)) - [[1896年]]、[[人種]]別公共施設の設置について「分離すれども平等(Separate, but Equal)」と判示した。
*'''シェンク対合衆国事件'''判決(Schenck v. United States, 249 U.S. 47(1919)) - [[1919年]]、表現内容規制に関する「[[明白かつ現在の危険]](clear and present danger)」の基準を示した。
*'''シェンク対合衆国事件'''判決(Schenck v. United States, 249 U.S. 47(1919)) - [[1919年]]、表現内容規制に関する「[[明白かつ現在の危険]](clear and present danger)」の基準を示した。

2006年1月22日 (日) 00:42時点における版

ファイル:Scene Constitution.jpg
アメリカ合衆国憲法への署名(Howard Chandler Christy・画)
アメリカ合衆国憲法の原本(1ページ目)

アメリカ合衆国憲法(-がっしゅうこくけんぽう、United States Constitution)は、アメリカ合衆国憲法典である。

1788年に発効した世界最古の成文憲法。

原法典は「1787年アメリカ合衆国憲法」とも呼ばれる。

修正条項によって修正(改正)を重ねつつ、現在も効力を持つ。最近の修正は、1992年の第27修正。

沿革

1776年大陸会議(各植民地代表者による会議)は独立宣言を発し、共和政体を採用する13の邦が誕生した。諸邦は、連合規約を結んで地方分権的性格の強い緩やかな連合組織(諸邦連合)を作った。この諸邦連合は、中央政府である連合会議が極めて弱体(課税権・通商規制権限・常備軍保持を認められず)であったため、財政は行き詰まり、治安の混乱にも対処できなかった。

そこで、強力な中央政府の樹立を求める声が高まり、1787年5月、フィラデルフィア憲法制定会議が開催された。憲法制定会議では、中央集権的で強力な連邦政府の樹立を推すフェデラリスト(Federalist、連邦派、後の連邦党)とこれに反対するアンチ・フェデラリスト(反連邦派、後に共和党)との間の対立や、南部(農業中心)と北部(商工業中心)の間の対立、大きな邦と小さな邦との間の対立など、数多くの対立を抱えていた。アンチ・フェデラリストは、憲法案に連邦政府の強大な権限を抑制する権利章典がないことを理由に反対した。そこで、フェデラリストは、権利章典を追加修正条項として憲法典に取り入れることを提案してアンチ・フェデラリストの了承を得た。その他にも多くの点で妥協を重ねて成案を得た後、フェデラリストが中心となって各邦議会での承認を進め、1788年6月に9邦の承認を得て発効した。

1789年、第1回の合衆国議会は、Bill of Rights権利章典)と呼ばれる第1修正から第10修正を付け加える件を審議し可決した。この修正は、1791年、修正に必要な数の州議会の批准を得て発効した。

構成

前文と本文7条(「条(Article)」は、日本の法律でいうところの「章」を指す。日本法での「条」に当たるのは、アメリカ憲法では「節(Section)」)から成る。

修正条項は27項あり、修正は原文を残したまま修正した条項を原法典の末尾に付け足してゆき、順次"Amendment I"(第1修正)、"Amendment II"(第2修正)と番号が付される。

前文(Preamble)

民定憲法であることを宣言する。

具体的に、この前文には、この憲法を制定する目的(国民の安全や防衛など)をリストしている。

第一条(Article I)

立法府・合衆国議会

第二条(Article II)

行政府・連邦政府、大統領

第三条(Article III)

司法府・裁判所

第四条(Article IV)

州間の関係および州と連邦との関係

第五条(Article V)

憲法改正(修正)手続

第六条(Article VI)

最高法規の規定

第七条(Article VII)

  • 批准による発効の規定
  • 代表者署名

修正条項(Amendments to the Constitution)

第1修正から第10修正は特に権利章典と呼ばれている。また奴隷制廃止を定めた第13修正、国内の禁酒を定めた第18修正とそれを廃止する第21修正、女性参政権を定めた第19修正などが著名。

また、修正に至らなかったものとしては、ERA(Equal Rights Amendment、男女平等憲法修正条項)がある。この修正は、1923年に条項が起草され、1972年合衆国議会で可決されたが、1982年までに修正に必要な数(全州の4分の3。50州のうち38州。)の州議会の批准を得られず、不成立となった。

特徴

厳格な三権分立

立法権・行政権・司法権は厳格に分離され、議会と大統領は別々に選挙される。大統領が議会を解散したり、議会が大統領を選出する権限などはない。大統領には法案提出権もなく、毎年1月に行われる大統領の一般教書演説によって大統領の施政方針が示され、必要な立法が示唆される。

連邦政府の権限拡大

連邦政府は憲法で制限列挙された権限のみを行使し、その他の権限は州と国民に留保されている(第10修正)。これを「例挙権限の源理」という。しかし、連邦議会に各州間の通商を規制する権限を与える州際通商条項(1条8節3項)などを根拠にして、連邦政府の権限は拡大している。

司法裁判所による違憲審査制

アメリカ合衆国の裁判所には、連邦議会が制定した法律の憲法適合性を審査する権限(違憲立法審査権)があるとされる。この権限は憲法の明文上定められたものではなく、連邦最高裁判所が1803年に出したマーベリー対マディソン事件判決(Marbury v. Madison, 5 U.S. 137(1803))により、判例法上確立されたものである。連邦最高裁判所は、この違憲立法審査権によって、アメリカ政治史上重要な憲法判断を行ってきた。

連邦最高裁による著名な判例

  • マーバリー対マディソン事件判決(Marbury v. Madison)-合衆国議会の承認する法律合衆国憲法に従っているか否かを決める権力(Judicial review)が最高裁にあると示した。
  • プレッシー対ファーガソン事件判決(Plessy v. Ferguson, 163 U.S. 537(1896)) - 1896年人種別公共施設の設置について「分離すれども平等(Separate, but Equal)」と判示した。
  • シェンク対合衆国事件判決(Schenck v. United States, 249 U.S. 47(1919)) - 1919年、表現内容規制に関する「明白かつ現在の危険(clear and present danger)」の基準を示した。
  • ブラウン対カンザス州トピカ市教育委員会事件判決(ブラウン判決、Brown v. Board of Education of Topeka, Kansas, 347 U.S. 483(1954), 349 U.S. 294(1955)) - 1954年1955年、上記の「分離すれども平等」の原則を憲法修正14条(平等条項、デュープロセス条項)違反として覆し、公民権運動に大きな影響を与えた。
  • ミランダ対アリゾナ事件判決(ミランダ判決、Miranda v. Arizona, 384 U.S. 436(1966)) - 1966年、身柄拘束された被疑者黙秘権弁護人依頼権を手続的に保障するため、これらの権利の告知などを欠いたまま得た自白は、証拠とすることができないと判示した。
  • レモン対カーツマン事件判決(Lemon v. Kurtzman, 403 U.S. 602(1971)) - 1971年政教分離に関する厳格審査基準(レモン・テスト)を示した。
  • ロー対ウェイド事件判決(Roe v. Wade, 410 U.S. 113(1973)) - 1973年、人工妊娠中絶を選択することは、憲法修正14条により保障される女性の権利であると判示した。


なお、アメリカ合衆国憲法には、社会権規定がない。また、男女平等条項もない。

関連項目

外部リンク