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できごと
【関西事件史】広田事件 3年後の秋~大阪拘置所で
「警察庁広域重要指定事件」という呼び方を聞いたことがおありだろうか? 同一犯によると思われる事件が、複数の都道府県にまたがって発生した際、警察庁が指定するもので、重大事件の代名詞ともいえる。
第1号は昭和39年の101号(連続学校金庫破り事件)で、もっとも最近は平成17年の124号(マブチモーター社長宅殺人放火事件など)。この24件のうち、未解決は114号と116号の2件しかない。
グリコ・森永事件と赤報隊テロ(朝日新聞阪神支局)事件。いずれも、昭和事件史に名を刻まれる存在だが、実はその間にはさまれた115号事件もまた、発生当初は大きな社会的反響を呼んだ。
昭和59年9月、京都と大阪で発生した連続強盗殺人事件。115号に指定されたその日に逮捕された容疑者が京都府警の元巡査部長、広田雅晴(41)だったことから、当時は連日、大きく報道された。広田は公判で事件とのかかわりを否定したが、最高裁で死刑が確定。その後、再審請求が出され、いまも執行はされていない。
事件当時、夕刊フジの駆け出しだった記者は、発生直後から京都と大阪の現場周辺を取材して回った。中でも千葉県で逮捕された広田が、護送中の電車の中で「京都府警にヘタ売らしたる」と報道陣に息巻いたことが、ひっかかっていた。
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