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{{quote|医師も職員も、大半は単に仕事をこなしただけだ。命令に従っただけの者もいれば、科学の栄光のために仕事をした者もいるという話に尽きる|ジョン・R・ヘラー、ジュニア|公衆衛生局性感染症対策課長<ref name='Whiteout'>{{cite book|last=Cockburn|first=Alexander|authorlink=Alexander Cockburn|author2=[[Jeffrey St. Clair]] |title=Whiteout: The CIA, Drugs and the Press|publisher=Verso|year=1998|location=London|page=67|url=https://books.google.com/?id=s5qIj_h_PtkC&pg=PA67&lpg=PA67&dq=%22some+merely+followed+orders,+others+worked+for+the+glory+of+science+|isbn=1-85984-139-2}}</ref>}}1928年のノルウェー人研究者によるオスロでの実験結果として、数百人の白人男性を対象とした、梅毒に感染してなおかつ無治療であった場合の病理学上の兆候について報告が行われた。この研究は、いわゆる「{{仮リンク|後ろ向き研究|en|Retrospective study}}」と呼ばれるもので、すでに梅毒に感染しているが一定期間それを治療せず放置していた患者の経過から、過去の情報をつなぎあわせるように収集して調査するものである。[[ファイル:Tuskegee_study.jpg|サムネイル|250x250ピクセル|採血される被験者(1953年ごろ)]]アメリカ公衆衛生局の性感染症対策課は、1932年に梅毒の研究グループを立ち上げている。プロジェクトメンバーたちは、このオスロでの調査をふまえて、それを補完するために「{{仮リンク|前向き研究|en|Prospective study}}」を実施することにした。この研究に関わった研究者は、被験者となる黒人男性に不都合が生じることはないと考えた。なぜなら彼らはそもそも梅毒の治療とは縁がなく、教育をこれ以上施しても、生まれつきの性欲が減退することはないであろうからである。
 
研究が始まったころでさえ、医学の教科書であればたいてい梅毒は必ず治療するようにと書かれていた(もし放置した場合、患者は悲惨な結果を迎えるであろうことも)。当時の一般的な治療方法は、ヒ素療法や「[[サルバルサン|606号]]」{{efn|梅毒治療剤サバルサンのこと。試験を繰り返し、606番目の化合物が最も効果が高いことから<ref>{{Cite web|url=http://www.eisai.co.jp/museum/information/topics/topics14_47.html|title=<その47>医薬品 化学療法剤 第1号 梅毒の特効薬 サルバルサン|accessdate=2018-11-11|publisher=エーザイ株式会社}}</ref>}}の投与などであった<ref name="Brandt2">{{cite journal|author=[[Allan M. Brandt]]|date=December 1978|title=Racism and Research: The Case of the Tuskegee Syphilis Study|url=https://dash.harvard.edu/bitstream/handle/1/3372911/brandt_racism.pdf?sequence=1|journal=The Hastings Center Report|volume=8|issue=6|page=23-24|doi=10.2307/3561468|pmid=721302}}</ref>。研究者はこの調査で得られた知見は全人類に利益をもたらすと自分たちの行為を正当化したが、適切な治療法が確立されてからも、医師たちは被験者にそれを施さずにいたため、結果的に男性たちに危害を加えていたことになる。後にこの研究は「医療の歴史のなかで最も長期にわたる、治療をともなわない人体実験」とも評されることになった<ref name="nyfp2">{{cite book|author=Jones J|title=Bad Blood: The Tuskegee Syphilis Experiment|year=1981|publisher=Free Press|isbn=0-02-916676-4|location=New York}}</ref>。
 
タスキギー実験の創始者として、タリアフェーロ・クラークという男性の名が残っている。クラークがはじめ掲げていた計画は、梅毒に感染した黒人男性の集団を6ヵ月から9ヵ月のあいだ無治療の状態においてその自然な経過を観察し、その後に第2段階として彼らの治療を行うというものだった<ref>{{Cite book|last=Jones|first=James H.|title=Bad Blood: The Tuskegee Syphilis Experiment|year=1981|publisher=The Free Press|isbn=0029166705|pages=99|quote=|location=New York|via=}}</ref>。公衆衛生局を代表して、クラークはタスキギー大学(アラバマ州の有名な歴史的黒人大学で、後に単科大学から総合大学になっている)とアーカンソー地方公衆衛生局に協力を要請した。他の研究メンバーが被験者をだますようなやりかたで実験を進めようとしていることに気づいたクラークは、一定期間を越えて継続的に実験をおこなう計画には反対した{{Clarify|date=August 2009}}。彼は研究が始まった年に公衆衛生局を辞任している。
 
アラバマ州メイコン郡でおこなわれたこのタスキギー実験を考えた人間としてよく名前が挙がるのはこのクラークだが、{{仮リンク|トーマス・パーラン・ジュニア|en|Thomas Parran Jr.}}も、少なくとも同程度にはこの無治療の実験というアイディアの発案者ということができる。ニューヨーク州の衛生局長(でありアメリカ公衆衛生局、性感染症対策課の元課長)であったパーランは、[[ジュリアス・ローゼンウォルド|ローゼンウォルド基金]]の依頼を受けて、アメリカ南部の6州で基金が実施する調査・実証プロジェクトの事前影響評価(アセスメント)を行った。彼の評価コメントには、次のような提案も含まれていた。「治療の影響を受けていない梅毒の自然な経過をニグロ人種で研究したいのであれば、この郡〔メイコン〕はロケーションとして理想的でしょう」<ref>{{Cite newspaper|newspaper=Philadelphia Inquirer|title=Did a U.S surgeon general come up with the idea of the notorious Tuskegee syphillis experiment|author=Bender W|date=July 20, 2017|url=http://www.philly.com/philly/news/thomas-parran-tuskegee-syphilis-hornblum-experiment-20170720.html}}</ref>。[[ファイル:Oliver_Wenger.jpg|右|サムネイル|145x145ピクセル|オリヴァー・ウェンガー]]もともとこの梅毒研究は、6ヵ月にわたってメイコン郡の住民を対象に梅毒にまつわる病理的な要因の分布を調査する記述疫学研究としてスタートしていた。当時は、梅毒の影響範囲は感染者の人種によって異なると考えられていた。黒人についていえば、医師たちは中枢神経系よりも心臓血管系のほうが影響が大きいと考えていた<ref>Murphy, Timothy F. "The Tuskegee Syphilis Studies," in ''Case Studies in Biomedical Research Ethics.'' Cambridge: MIT, 2004. 21. Print.</ref>。はじめ、被験者は6ヵ月から8ヵ月の診断を受けたら、その後は[[サルバルサン|サンバルサン]]や[[水銀]]、[[ビスマス]]の投与など当時一般的だった治療が施されることになっていた。しかしどの治療薬もせいぜいがそれなりに効果を有するという程度で、むしろどれも毒性が高いという欠点があった。タスキギー大学は当時から研究に関わっている。参加を決めた大学上層部のみたところ、この地域の貧しい人々に医療を提供するという志がこの研究にはあった<ref name="Parker">{{cite news|title='Bad Blood' Still Flows In Tuskegee Study|date=April 28, 1997|last=Parker|first=Laura|url=http://www.tuskegee.edu/global/Story.asp?s=1209852|accessdate=December 4, 2008|publisher=USA Today|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081208132100/http://www.tuskegee.edu/global/Story.asp?s=1209852|archivedate=December 8, 2008|deadurl=yes|df=mdy-all}}</ref>。タスキギー大学付属のジョン・アンドリュー病院も公衆衛生局のために医療施設の使用に便宜をはかり、地元の黒人医師たちも同様にこの研究に協力した。ジョン・アンドリュー病院の院長も、黒人の{{仮リンク|ユージーン・ディブル|en|Eugene Dibble}}であった。
 
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