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この説では、梅毒はヨーロッパ人がアメリカ大陸に到着するより前から、ヨーロッパに存在していたとされる。18世紀から19世紀にかけて、いくつかの学者たちは、[[古代ギリシア]]の[[ヒポクラテス]]によって第3期梅毒の症状が記述されていたと信じていた<ref>{{Cite journal|last=Bollaert|first=Wm.|date=1864|title=On the Alleged Introduction of Syphilis from the New World. Also Some Notes from the Local and Imported Diseases into America|url=https://www.jstor.org/stable/3025228?origin=crossref|journal=Journal of the Anthropological Society of London|volume=2|pages=cclvi|language=en|doi=10.2307/3025228|issn=1356-0131}}</ref>。また、コロンブス以前の、イタリアの[[ポンペイ]]や{{仮リンク|メタポントゥム|en|Metapontum}}で、先天性梅毒によるものと類似した損傷を持つ人骨が発見されている<ref name=":4">http://www.sundaytimes.lk/101219/Timestwo/t2_01.html Pompeii skeletons reveal secrets of Roman family life</ref><ref name=":5">{{cite book|title=The Origin of Syphilis in Europe, Before or After 1493?|year=1994|publisher=Centre Archeologique du Var, Editions Errance|pages=92–98|chapter=Treponematosis in an Ancient Greek colony of Metaponto, Southern Italy 580-250 BCE|location=Toulon-Paris|vauthors=Henneberg M, Henneberg RJ|editor1=O Dutour|editor2=G Palfi|editor3=J Berato|editor4=J-P Brun}}</ref><ref name=":6">{{cite book|title=Homo Faber: Studies on Nature. Technology and Science at the Time of Pompeii,|year=2002|publisher="L'ERMA" di Bretschneider|pages=169–187|chapter=Reconstructing Medical Knowledge in Ancient Pompeii from the Hard Evidence of Bones and Teeth|location=Rome|vauthors=Henneberg M, Henneberg RJ|editor1=J Renn|editor2=G Castagnetti}}</ref>。[[スミソニアン博物館]]の[[自然人類学|自然人類学者]] [[:en:Douglas W. Owsley|Douglas W. Owsley]] や他の支持者たちは、中世ヨーロッパで[[ハンセン病]](口語では ''lepra'')とされていた症例の多くが、実際には梅毒であったと主張している。しかしながら、これらの主張は査読にかけられておらず、他の科学者たちに検証可能なエビデンスは弱い<ref name="Armelagos2012"/>。民間伝承ではコロンブスの航海で病気にかかった船乗りたちが戻ってくるまでヨーロッパでは梅毒は知られていなかったとされているが、Owsley は「梅毒は、しばしばそうされるように、どこかの地理的領域や特定の人種のせいにしてしまうことはおそらくできない。エビデンスはこの病気が先史時代から両半球に存在していたことを示唆している。15世紀の末に 'lepra' と考えられていた梅毒が猛威を振るうようになったことと、コロンブスの探検とは時期の偶然の一致である」と言う<ref name="OWSLEY">{{cite journal|date=August 1974|title=The origin of syphilis|journal=Journal of Sex Research|volume=10|issue=1|pages=76–79|doi=10.1080/00224497409550828|vauthors=Lobdell J, Owsley D}} (via [[JSTOR]])</ref>。Lobdell と Owsley は、1303年の 'lepra' のアウトブレイクを記録したヨーロッパの著述家は「明らかに梅毒を記述していた」としている<ref name="OWSLEY" />。2015年に研究者たちは、オーストリアの14世紀の人骨に母子感染した先天性梅毒と思われる徴候を発見した。この発見はコロンブス説への反論となる可能性があり、すぐに解決されるとは思えない論争がさらに複雑なものとなっている<ref name="Atlantic1"/><ref name=":7">{{cite journal|author=Gaul J.S., Grossschmidt K., Gusenbauer C., Kanz F.|year=2015|title=A probable case of congenital syphilis from pre-Columbian Austria|url=|journal=Anthropologischer Anzeiger|volume=72|issue=4|pages=451–472|doi=10.1127/anthranz/2015/0504}}</ref><ref name="Aust1">[https://www.sciencedaily.com/releases/2015/11/151119103306.htm Syphilis widespread in Central Europe even before Columbus' voyage to America]; ''[[Science Daily]]''; November 19, 2015</ref>。
この説では、梅毒はヨーロッパ人がアメリカ大陸に到着するより前から、ヨーロッパに存在していたとされる。18世紀から19世紀にかけて、いくつかの学者たちは、[[古代ギリシア]]の[[ヒポクラテス]]によって第3期梅毒の症状が記述されていたと信じていた<ref>{{Cite journal|last=Bollaert|first=Wm.|date=1864|title=On the Alleged Introduction of Syphilis from the New World. Also Some Notes from the Local and Imported Diseases into America|url=https://www.jstor.org/stable/3025228?origin=crossref|journal=Journal of the Anthropological Society of London|volume=2|pages=cclvi|language=en|doi=10.2307/3025228|issn=1356-0131}}</ref>。また、コロンブス以前の、イタリアの[[ポンペイ]]や{{仮リンク|メタポントゥム|en|Metapontum}}で、先天性梅毒によるものと類似した損傷を持つ人骨が発見されている<ref name=":4">http://www.sundaytimes.lk/101219/Timestwo/t2_01.html Pompeii skeletons reveal secrets of Roman family life</ref><ref name=":5">{{cite book|title=The Origin of Syphilis in Europe, Before or After 1493?|year=1994|publisher=Centre Archeologique du Var, Editions Errance|pages=92–98|chapter=Treponematosis in an Ancient Greek colony of Metaponto, Southern Italy 580-250 BCE|location=Toulon-Paris|vauthors=Henneberg M, Henneberg RJ|editor1=O Dutour|editor2=G Palfi|editor3=J Berato|editor4=J-P Brun}}</ref><ref name=":6">{{cite book|title=Homo Faber: Studies on Nature. Technology and Science at the Time of Pompeii,|year=2002|publisher="L'ERMA" di Bretschneider|pages=169–187|chapter=Reconstructing Medical Knowledge in Ancient Pompeii from the Hard Evidence of Bones and Teeth|location=Rome|vauthors=Henneberg M, Henneberg RJ|editor1=J Renn|editor2=G Castagnetti}}</ref>。[[スミソニアン博物館]]の[[自然人類学|自然人類学者]] [[:en:Douglas W. Owsley|Douglas W. Owsley]] や他の支持者たちは、中世ヨーロッパで[[ハンセン病]](口語では ''lepra'')とされていた症例の多くが、実際には梅毒であったと主張している。しかしながら、これらの主張は査読にかけられておらず、他の科学者たちに検証可能なエビデンスは弱い<ref name="Armelagos2012"/>。民間伝承ではコロンブスの航海で病気にかかった船乗りたちが戻ってくるまでヨーロッパでは梅毒は知られていなかったとされているが、Owsley は「梅毒は、しばしばそうされるように、どこかの地理的領域や特定の人種のせいにしてしまうことはおそらくできない。エビデンスはこの病気が先史時代から両半球に存在していたことを示唆している。15世紀の末に 'lepra' と考えられていた梅毒が猛威を振るうようになったことと、コロンブスの探検とは時期の偶然の一致である」と言う<ref name="OWSLEY">{{cite journal|date=August 1974|title=The origin of syphilis|journal=Journal of Sex Research|volume=10|issue=1|pages=76–79|doi=10.1080/00224497409550828|vauthors=Lobdell J, Owsley D}} (via [[JSTOR]])</ref>。Lobdell と Owsley は、1303年の 'lepra' のアウトブレイクを記録したヨーロッパの著述家は「明らかに梅毒を記述していた」としている<ref name="OWSLEY" />。2015年に研究者たちは、オーストリアの14世紀の人骨に母子感染した先天性梅毒と思われる徴候を発見した。この発見はコロンブス説への反論となる可能性があり、すぐに解決されるとは思えない論争がさらに複雑なものとなっている<ref name="Atlantic1"/><ref name=":7">{{cite journal|author=Gaul J.S., Grossschmidt K., Gusenbauer C., Kanz F.|year=2015|title=A probable case of congenital syphilis from pre-Columbian Austria|url=|journal=Anthropologischer Anzeiger|volume=72|issue=4|pages=451–472|doi=10.1127/anthranz/2015/0504}}</ref><ref name="Aust1">[https://www.sciencedaily.com/releases/2015/11/151119103306.htm Syphilis widespread in Central Europe even before Columbus' voyage to America]; ''[[Science Daily]]''; November 19, 2015</ref>。


==ヨーロッパでのアウトブレイク==
== ヨーロッパでの大流行==
[[File:DürerSyphilis1496.jpg|thumb|[[アルブレヒト・デューラー]]のものとされる、梅毒の人物を描いた医学挿画 (1496)。ここでは梅毒の[[占星術]]的な要因が信じられている。]]
[[File:DürerSyphilis1496.jpg|thumb|[[アルブレヒト・デューラー]]のものとされる、梅毒の人物を描いた医学挿画 (1496)。ここでは梅毒の[[占星術]]的な要因が信じられている。]]
最初に詳細に記録された、[[ヨーロッパ]]での梅毒の大流行は、1495年イタリア・ナポリを包囲しているフランス軍の間で発生した<ref name=Orgin10/>。
最初に詳細に記録されたヨーロッパでの梅毒のアウトブレイクは、1495年イタリア・ナポリを包囲しているフランス軍の間で発生した<ref name=Orgin10/>。コロンブスの航海に携わった乗組員の多くはその後、[[シャルル8世 (フランス王)|シャルル8世]]によるイタリアへの侵攻の際、その軍隊に傭兵として参加しており、梅毒がヨーロッパ中に拡散し500万人もの死者を出す結果につながったという主張も存在する<ref name="pmid18235852" /><ref name="OWSLEY"/>。いくつかの知見は、ヨーロッパ人は非性病性の熱帯の細菌を持ち帰り、その細菌が環境の変化とヨーロッパの人々の低い免疫性のために、より致死性の高い形態に変異した可能性を示唆している<ref name=":8">{{cite news|title=Genetic Study Bolsters Columbus Link to Syphilis|date=15 January 2008|author=John Noble Wilford|url=https://www.nytimes.com/2008/01/15/science/15syph.html|work=[[The New York Times]]}}</ref>。[[ジャレド・ダイアモンド]]は「1495年に梅毒がヨーロッパで初めて明確に記録されたとき、その[[膿疱]]はしばしば頭から膝までの全身を覆っており、人々の顔からは血がしたたり落ち、数ヶ月以内死亡した」と記述している。その病気は今日のものよりもかなり致死性が高く<ref name="Diamond1">{{cite book|author=Diamond, Jared|title=Guns, Germs and Steel|year=1997|publisher=W.W. Norton|isbn=84-8306-667-X|pages=210|location=New York}}</ref>、この最初の梅毒の流行の疫学は、この病気が新しいものか、以前の病気の新たに変異した形態であることを示している。梅毒は[[ルネサンス]]の時代を通じてヨーロッパでの主要な死因であった<ref name=":9">[http://www.livescience.com/history/080114-syphilis-columbus.html "Columbus May Have Brought Syphilis to Europe"], LiveScience</ref>。当時の[[セビリア]]の医師{{仮リンク|ルイ・ディアス・デ・イスラ|de|Ruy Díaz de Isla}}は論文 ''Serpentine Malady'' (1539) の中でヨーロッパで100万人以上の人々が感染したと試算しており、また、この病気が以前には知られておらず、[[イスパニョーラ島]] (現在の[[ドミニカ共和国]]と[[ハイチ]]) に由来するものであるとしている<ref>{{Cite web|url=https://www.historytoday.com/js-cummins/pox-and-paranoia-renaissance-europe|title=Pox and Paranoia in Renaissance Europe {{!}} History Today|accessdate=2018-12-22|website=www.historytoday.com}}</ref>。

コロンブスの航海に携わった乗組員の多くはその後、[[シャルル8世 (フランス王)|シャルル8世]]によるイタリアへの侵攻の際、その軍隊に傭兵として参加しており、梅毒がヨーロッパ中に拡散し、500万人もの死者を出す結果につながったという主張も存在する<ref name="pmid18235852" /><ref name="OWSLEY"/>。

いくつかの知見は、ヨーロッパ人は非性病性の熱帯の細菌を持ち帰り、その細菌が環境の変化とヨーロッパの人々の低い免疫性のために、より致死性の高い形態に変異した可能性を示唆している<ref name=":8">{{cite news|title=Genetic Study Bolsters Columbus Link to Syphilis|date=15 January 2008|author=John Noble Wilford|url=https://www.nytimes.com/2008/01/15/science/15syph.html|work=[[The New York Times]]}}</ref>。

[[ジャレド・ダイアモンド]]は「1495年に梅毒がヨーロッパで初めて明確に記録されたとき、その[[膿疱]]はしばしば頭から膝までの全身を覆っており、人々の顔からは血がしたたり落ち、数ヶ月以内死亡した」と記述している。その病気は今日のものよりもかなり致死性が高く<ref name="Diamond1">{{cite book|author=Diamond, Jared|title=Guns, Germs and Steel|year=1997|publisher=W.W. Norton|isbn=84-8306-667-X|pages=210|location=New York}}</ref>、この最初の梅毒の流行の疫学は、この病気が新しいものか、以前の病気の新たに変異した形態であることを示している。

梅毒は[[ルネサンス]]の時代を通じて、ヨーロッパでの主要な死因であった<ref name=":9">[http://www.livescience.com/history/080114-syphilis-columbus.html "Columbus May Have Brought Syphilis to Europe"], LiveScience</ref>。当時の[[セビリア]]の医師{{仮リンク|ルイ・ディアス・デ・イスラ|de|Ruy Díaz de Isla}}は論文 ''Serpentine Malady'' (1539) の中でヨーロッパで100万人以上の人々が感染したと試算しており、また、この病気が以前には知られておらず、[[イスパニョーラ島]] (現在の[[ドミニカ共和国]]と[[ハイチ]]) に由来するものであるとしている<ref>{{Cite web|url=https://www.historytoday.com/js-cummins/pox-and-paranoia-renaissance-europe|title=Pox and Paranoia in Renaissance Europe {{!}} History Today|accessdate=2018-12-22|website=www.historytoday.com}}</ref>。


==歴史的な用語==
==歴史的な用語==

2019年9月14日 (土) 13:12時点における版

梅毒の患者の治療を描いた最初期の医学挿画、ウィーン、1498年。

梅毒の歴史(ばいどくのれきし)では、梅毒の流行、診断と治療法などの歴史について記述する。

ヨーロッパで最初に記録された梅毒のアウトブレイクは、1494年から1495年にかけて、フランスの侵攻を受けていたイタリアナポリで起こったものである[1][2]。フランス軍の帰還とともに梅毒が流行したため、この病気は「フランス病」としても知られていた。梅毒を意味する "syphilis" という単語が登場するのは1530年で、イタリアの医師・詩人ジローラモ・フラカストロによって初めて用いられた[2]。梅毒の病原体である梅毒トレポネーマ Treponema pallidumフリッツ・シャウディン英語版エーリッヒ・ホフマン英語版によって1905年に同定された[2]。最初の効果的な治療法であるサルバルサンは、1910年にパウル・エールリヒの研究室の秦佐八郎によって開発され、1943年にはペニシリンが用いられるようになった[2]

スコット・ジョプリンフランツ・シューベルトアル・カポネエドゥアール・マネなど、多くの有名な歴史上の人物が梅毒に感染したとされている[2]

起源

梅毒の歴史は浩瀚な研究がされているものの、その病気の起源は明らかでない[3]。そのため梅毒の起源については、有力な仮説が2つ存在する。1つは、いわゆるコロンブス交換の副産物として、クリストファー・コロンブスと乗組員がアメリカ大陸からヨーロッパにもたらした病気だとするもので、もう1つは、以前からヨーロッパに存在していた病気だが、梅毒として認識されていなかったとするものである[1]。これらの仮説はそれぞれ、「コロンブス (Columbian) 説」「先コロンブス (pre-Columbian) 説」と呼ばれる[1]

梅毒は活版印刷の発明後に発見された、最初の「新しい」病気である。そのため情報としてすばやく広がっただけでなく、現存する資料もおびただしい。この病気は、当時から知識人であればよく知るような「一面記事」だったのである。また、梅毒は性感染症であることが広く認識されていた最初の病気であり、感染しているとわかった人々の道徳的なあり方 (性行動) を示すものとして受け止められていた。その地理的な起源や道徳的な重要性について議論されたという点でも、梅毒は他の病気とは異なっており、ヨーロッパの国々は梅毒の原因を互いになすりつけ合った。

梅毒の起源は明らかでではないが、ヨーロッパ人が新世界を往来するようになる以前から、アメリカ大陸の先住民の間に梅毒が存在したことについては強いエビデンスが存在する[1]。一方で、梅毒が数千年にわたって全世界に存在していたのか、それともコロンブス以前の時代にはアメリカ大陸に限定されていたのかについては今も議論が続いている[1]

コロンブス説

この説では、梅毒は新世界の病気であり、コロンブス、マルティン・アロンソ・ピンソン、他の乗組員たちによる、意図せざるコロンブス交換の結果として持ち込まれたとされる。コロンブスのアメリカ大陸への最初の航海は、1495年ナポリでの梅毒のアウトブレイクの3年前である[1]ドミニカ共和国での538の発掘人骨の調査では 6-14% がトレポネーマ症の特徴を示しており、Rothschildらは梅毒であったと想定している[4]。近年の新世界での人骨証拠によりよく一致するよう修正されたコロンブス説では、新世界が梅毒の誕生の地というわけではなく、非性病性のトレポネーマ症がコロンブスによってヨーロッパに持ち帰られた、と想定されている。現代のフランベジア (イチゴ腫) のものに似たその細菌は、旧世界への到着によって新たな選択圧にさらされ、性感染症となった亜種の梅毒が誕生した[5][6]。この説は、性病性の梅毒と、南米ガイアナのフランベジアと梅毒の中間的疾患の細菌との系統解析によって支持されている[7][8]。しかしこの研究には、わずかな数の配列の差異だけに基づいて結論が出されているという批判もある[5][9]。2011年には Yearbook of Physical Anthropology において 、Harper らによる、査読を経て公開された54件の先行研究のシステマティック・レビューによる評価が公開され、人骨のデータからは梅毒がコロンブスが出航する以前のヨーロッパに存在しなかったことが支持され、それ以前の旧世界での梅毒とされる人骨のエビデンスは標準的な年代測定法では支持されない、とされた[10][11]

先コロンブス説

この説では、梅毒はヨーロッパ人がアメリカ大陸に到着するより前から、ヨーロッパに存在していたとされる。18世紀から19世紀にかけて、いくつかの学者たちは、古代ギリシアヒポクラテスによって第3期梅毒の症状が記述されていたと信じていた[12]。また、コロンブス以前の、イタリアのポンペイメタポントゥム英語版で、先天性梅毒によるものと類似した損傷を持つ人骨が発見されている[13][14][15]スミソニアン博物館自然人類学者 Douglas W. Owsley や他の支持者たちは、中世ヨーロッパでハンセン病(口語では lepra)とされていた症例の多くが、実際には梅毒であったと主張している。しかしながら、これらの主張は査読にかけられておらず、他の科学者たちに検証可能なエビデンスは弱い[5]。民間伝承ではコロンブスの航海で病気にかかった船乗りたちが戻ってくるまでヨーロッパでは梅毒は知られていなかったとされているが、Owsley は「梅毒は、しばしばそうされるように、どこかの地理的領域や特定の人種のせいにしてしまうことはおそらくできない。エビデンスはこの病気が先史時代から両半球に存在していたことを示唆している。15世紀の末に 'lepra' と考えられていた梅毒が猛威を振るうようになったことと、コロンブスの探検とは時期の偶然の一致である」と言う[16]。Lobdell と Owsley は、1303年の 'lepra' のアウトブレイクを記録したヨーロッパの著述家は「明らかに梅毒を記述していた」としている[16]。2015年に研究者たちは、オーストリアの14世紀の人骨に母子感染した先天性梅毒と思われる徴候を発見した。この発見はコロンブス説への反論となる可能性があり、すぐに解決されるとは思えない論争がさらに複雑なものとなっている[6][17][18]

ヨーロッパでの大流行

アルブレヒト・デューラーのものとされる、梅毒の人物を描いた医学挿画 (1496)。ここでは梅毒の占星術的な要因が信じられている。

最初に詳細に記録された、ヨーロッパでの梅毒の大流行は、1495年イタリア・ナポリを包囲しているフランス軍の間で発生した[1]

コロンブスの航海に携わった乗組員の多くはその後、シャルル8世によるイタリアへの侵攻の際、その軍隊に傭兵として参加しており、梅毒がヨーロッパ中に拡散し、500万人もの死者を出す結果につながったという主張も存在する[8][16]

いくつかの知見は、ヨーロッパ人は非性病性の熱帯の細菌を持ち帰り、その細菌が環境の変化とヨーロッパの人々の低い免疫性のために、より致死性の高い形態に変異した可能性を示唆している[19]

ジャレド・ダイアモンドは「1495年に梅毒がヨーロッパで初めて明確に記録されたとき、その膿疱はしばしば頭から膝までの全身を覆っており、人々の顔からは血がしたたり落ち、数ヶ月以内死亡した」と記述している。その病気は今日のものよりもかなり致死性が高く[20]、この最初の梅毒の流行の疫学は、この病気が新しいものか、以前の病気の新たに変異した形態であることを示している。

梅毒はルネサンスの時代を通じて、ヨーロッパでの主要な死因であった[21]。当時のセビリアの医師ルイ・ディアス・デ・イスラドイツ語版は論文 Serpentine Malady (1539) の中でヨーロッパで100万人以上の人々が感染したと試算しており、また、この病気が以前には知られておらず、イスパニョーラ島 (現在のドミニカ共和国ハイチ) に由来するものであるとしている[22]

歴史的な用語

梅毒を意味する "syphilis" という単語は、イタリアの医師で詩人のジローラモ・フラカストロによって、1530年にラテン語で書かれたパストラル詩『梅毒またはフランスの病』(Syphilis sive morbus gallicus) で造り出された[2][23]。詩の主人公は Syphilus という名前 (おそらくオウィディウスの『変身物語』の登場人物シピュロスの綴りのバリエーション) の羊飼いである。Syphilus は、彼と彼の追随者たちがアポローンに対して示した反抗への罰として、病気に感染した最初の人物として描かれている[2]。フラカストロは新しい病気の名前をこの人物から取り、彼の医学の論文「伝染病について」(De Contagionibus) でも用いた[24]

その頃まで、フラカストロが記述するところなどによると、梅毒はイタリア、マルタ[25]、ポーランド、ドイツでは「フランス病」と呼ばれており、フランスでは「イタリア病」と呼ばれていた。さらに、オランダ人は「スペイン病」、ロシア人は「ポーランド病」、トルコ人は「キリスト教徒の病」「フランク人 (西欧人) の病」と呼んでいた。これらの国名を冠した名前は、一般的に当時の国家間の政治的対立を反映したものであり、一種のプロパガンダとして頻繁に利用された。例えば、プロテスタントのオランダ人は、カトリックスペイン・ハプスブルク朝からの独立を求めて戦い、最終的に勝ち取ったが、梅毒を「スペイン病」と呼ぶことで、スペイン人は不道徳で卑劣だという政治的に有用な認識が強化された。一方で、これらの帰属は、少なくとも「受け手」側から認識されていた感染拡大のルートを示唆するものでもある。また、これらの用語に根差す外国人嫌悪は、この病気に特有の疫学、しばしば外国の船乗りや兵士と土地の売春婦との頻繁な性的接触によって拡散されたことに基づくものでもあった[26]

16世紀の間、梅毒は天然痘 (small pox) と区別するために "great pox" とも呼ばれていた。その初期の段階では、梅毒は天然痘のものに似た[要出典]発疹が現れるためである。しかし、small pox のほうがはるかに致死性が高いため、この名前は誤解を招くものであった。"Lues" (Lues venerea、ラテン語で「性病の疫病」)[27]、"Cupid's disease" (クピードーの病)[28]といった用語も梅毒を指すために用いられた。スコットランドでは梅毒は Grandgore または Spanyie Pockis と呼ばれていた[29]。ポルトガルでイギリス兵士たちが苦しんでいた潰瘍は "The Black Lion" (黒いライオン) と名付けられていた[30]

歴史的な治療法

17-18世紀の人工の鼻。病気の影響のため、このような審美的代替物が使用された。
鼻の欠陥を外科的に修復するために用いられた、初期の組織移植術。

多数の治療法が試みられたが、梅毒に効果的なものは存在しなかった。この病気がヨーロッパに現れて間もない段階では、非効果的で危険な治療法が多く用いられた。治療の目的は病気を引き起こす外来性の物質を体外に排出することであり、瀉血下剤の使用、ワインやハーブ、オリーブ油への入浴などが行われた[31]

水銀は最も広く、そして長く用いられ続けた梅毒の治療法であり、ペルシアの医師イブン・スィーナーによる『医学典範』 (1025) にまで遡るとされる[32] (ただしこれはコロンブス以前の旧世界に梅毒が存在した場合、である)。水銀による治療の最初の支持者の1人はパラケルススであり、水銀を用いたアラビアの治療法が、当時梅毒と関連があるとされていたハンセン病に対して効果があるとされていたためと考えられる[33]ヴェローナの Giorgio Sommariva が1496年に梅毒の治療に水銀を用いたことが記録されており、この治療法を用いた最初の医師とされることも多いが、彼は医師ではなかった可能性もある[34]。16世紀の間、肌にこする、膏薬として塗る、または口から、といった様々な方法で、水銀は梅毒の患者に投与された[35]。「燻蒸」による投与も行われた。この方法では水銀は火にかけて気化され、患者は熱せられた石炭の上に置かれた穴の開いた椅子に座るか、箱に入って頭だけを出すかの方法で水銀の蒸気を浴びた[35]。水銀による治療の目的は、患者の流涎を促すことであり、それによって病気が排出されると考えられていた。水銀による治療には、歯肉の潰瘍や歯の喪失などの不快な副作用があった[35]。水銀は数世紀にわたって梅毒の治療に用いられ続け、1869年の論文で T. J. Walker は水銀の注射について議論している[36]

グアヤク脂 (ユソウボクの樹脂) は16世紀に人気のあった治療法であり、ウルリヒ・フォン・フッテンらによって強く主唱された[35]。グアヤク脂はコロンブスが上陸したイスパニョーラ島に由来するものであったので、コロンブス説の支持者たちは、神は病気の起源と同じ場所に治療法をもたらしたのだと主張した[35]。スペインの司祭 Francisco Delicado は、彼自身梅毒に苦しんでいたが、1525年に「西インド諸島からの木材の利用の方法」(El modo de adoperare el legno de India occidentale) を著し、梅毒の治療へのグアヤク脂の利用について議論した[37][38]。グアヤク脂は水銀のような不快な副作用はなかったが、短期的効果[38]を除けば特に有効であるとも言えず[35]、水銀の方がより効果的であると考えられていた[35]。何人かの医師たちは、患者に水銀とグアヤク脂の両方を使い続けた。1522年以降、Blatterhaus (アウクスブルクの貧しい梅毒患者のための市立病院)[39]では、最初の治療としてグアヤク脂のホットドリンクが投与され、発汗療法が続いた。そして最後の治療手段として水銀が用いられた[35]

16世紀の他の治療法はイタリアの医師 Antonio Musa Brassavola によって提唱された、「中国の根」(Root of China[35]サルトリイバラ Smilax china[40]の根) の経口投与である。17世紀には、イングランドの医師で薬草学者ニコラス・カルペパー英語版は、サンシキスミレ (野生のパンジー) の使用を推奨した[41]

効果的な治療法が現れる以前は、梅毒の長期的な影響によって顔や鼻に欠陥が生じ ("nasal collapse")、容貌が損なわれることがあった。梅毒は性行為によって伝染する性質のため非難される病であり、このような欠陥は社会ののけ者、性的逸脱の象徴としての印となった。この欠陥に対し、見た目を良くするために人工の鼻が用いられることもあった。16世紀の顔面外科の医師ガスパーレ・タグリアコッチ英語版による先駆的な仕事は、鼻の欠陥を外科的に再建する最初期の試みとして記録されている。遊離皮弁法英語版(フリー・フラップ) が発明される前は、血流が皮弁の生存を決定する必須の因子であったため、移植に用いることができるのは欠陥に近接した局所的な組織だけであった。タグリアゴッチの技術は、腕の血流から茎を除去することなく (血管がつながった状態で)、腕から組織を移動することであった。患者は、腕からの組織の移植後、移植部位で新たな血管が発達するまでは、腕を顔のところへ縛り付けたままにしておく必要があった。そして、2度目の手術によって皮弁は腕から分離された[要出典]

病気の理解が進むにつれ、より効果的な治療法が現れるようになった。ノーベル賞受賞者パウル・エールリヒの研究室の秦佐八郎によって、有機ヒ素化合物抗菌薬サルバルサンが1908年に開発され、梅毒の治療に用いられた。このグループは後に、より毒性の低いヒ素化合物、ネオサルバルサンを発見した[42]

時として、高熱を出した患者の梅毒が治癒することがあることが観察された[誰によって?]。そのため、持続した高熱を引き起こすマラリアが第3期梅毒の治療のために短期間用いられた(一種の発熱療法英語版)。マラリアはキニーネによって治療することが可能であったので、マラリアへの感染は受容されるリスクであると考えられていた。マラリアによる治療はたいていは末期の治療、特に神経梅毒のためにとっておかれ、サルバルサンかネオサルバルサンによる補助的治療が続いた。このマラリア療法はユリウス・ワーグナー=ヤウレックによって擁護され[43]、彼は神経梅毒の治療におけるマラリア接種の治療的価値を発見したことで1927年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。後に、高温のキャビネット (発汗ボックス) が同じ目的のために用いられた[44]。これらの治療法は、最終的にペニシリンの発見によって時代遅れと考えられるようになった。第二次世界大戦後ペニシリンが大規模で製造されるようになり、梅毒は効果的かつ確実に治療されるようになった[45]

診断の歴史

1905年に、フリッツ・シャウディン英語版エーリッヒ・ホフマン英語版は梅毒の患者の組織に梅毒トレポネーマ Treponema pallidum を発見した。その1年後、梅毒のための最初の効率的な試験法である、ワッセルマン反応アウグスト・フォン・ワッセルマンによって開発された。この反応は偽陽性の問題があったが、梅毒の検出と予防の面では大きな進展であった。病気の急性症状が現れる前に試験を行うことで、感染した本人を治療することはできないものの、梅毒の他人への感染が防がれた。1930年代には、ウィリアム・オーガスタス・ヒントン英語版によって Hinton test が開発された。これは凝集反応に基づくもので、ワッセルマン反応よりも偽陽性が少なかった[46]。これらの初期の試験法は、現在ではより新しい分析法によって置き換えられている。また、フェリックス・ミルグロム英語版は、一滴の乾いた血液で判別可能な簡便な試験法を開発し、第二次世界大戦後の東欧でのアウトブレイク時に200万人以上の試験に用いられた[47]

日本の科学者野口英世は、1913年にロックフェラー大学 (当時はロックフェラー医学研究所) で、進行性麻痺の患者の脳に梅毒トレポネーマが存在することを示し、神経梅毒と梅毒トレポネーマとの関連性を初めて示した[48]

芸術と文学

レンブラント・ファン・レインによる、ヘラルト・デ・ライレッセの肖像画、1665-67頃、油彩。デ・ライレッセは、自身も画家で芸術理論家であったが、先天性梅毒に悩まされ、顔はひどく変形し、最終的に盲目となった[49]

梅毒に罹患した人物を描いた最初の例は、ランツクネヒト (北ヨーロッパの傭兵) を描いたとされる、アルブレヒト・デューラーの木版画『梅毒の男』(Syphilitic Man) である[50]ジョン・キーツの 『つれなき美女』(La Belle Dame sans Merci) に代表される、19世紀のファム・ファタールのモチーフも、部分的には梅毒による荒廃がその由来となっていると考えられている[51][52]。詩人ゼバスティアン・ブラントは1496年に De pestilentiali Scorra sive mala de Franzos と題された詩を書き、ヨーロッパ大陸中への病気の拡散を描写した[53]。ブラントは、梅毒の宗教的・政治的側面を描いており、特に、聖母マリアイエスが光を投げかけて梅毒に冒された人々を罰したり治癒したりする部分で顕著であった。彼はその作品の中に、不道徳な病に抗する働きのためマリアとイエスに報いられる人物として王マクシミリアン1世を登場させており、16世紀から17世紀にかけての教会と国家の間の強い関係が示されている[54]

芸術家ストラダヌスは1580年頃、裕福な男が熱帯の樹木ユソウボクによる治療を受けている場面を描いている[55]。『梅毒の治療のためのグアヤコの調製と使用』(Preparation and Use of Guayaco for Treating Syphilis) と題された絵画は、新世界をほめたたえる一連の作品に含まれており、当時のヨーロッパのエリートにとって、この効き目のない梅毒の治療でさえも、いかに重要であったかが示されている。その色彩豊かで詳細に描かれた作品では、4人の召使いが調合を行い、背中に何かを隠し持った医師が不幸な患者が飲むのを見ている場面が描かれている[56]。17世紀のジャック・ラニエ (Jacques Laniet) のものとされる梅毒の治療を描いた別の作品では、治療のために燻蒸ストーブを用いている男性が描かれており、その傍の樽には「一つの楽しみ、千の苦しみ」という諺が刻まれている[54]。梅毒の治療法は通常苦痛を伴うもので効き目もなかったため、梅毒に感染するような行為を思いとどまらせるために梅毒の治療は頻繁に描かれた。

タスキギーとグアテマラでの研究

梅毒についてのアメリカ公共事業促進局のポスター、1940年頃。

20世紀のアメリカ合衆国での事例で、医療倫理上の問題で最も悪名高いもの1つはタスキギー梅毒実験である[57]。この研究はアラバマ州タスキギーで、アメリカ公衆衛生局の支援とタスキギー大学英語版の協力の下行われた[58]。研究は1932年、梅毒が広く問題となり、安全で効率的な治療法が存在しなかった時代に開始された[59]。研究は梅毒の無治療時の経過を観察するためにデザインされた。1947年までには、ペニシリンが初期の梅毒に効果的であることが示されており、病気の治療に広く用いられるようになっていた[58]。しかし、末期の梅毒への使用ついてはまだはっきりしていなかった[59]ため、ディレクターたちは研究を継続し、参加者たちにペニシリンによる治療を勧めることはしなかった[58]。参加者がどの程度ペニシリンを与えられたかについては議論がある[59][60]

1960年代にピーター・バクストン英語版は、研究を管轄していたアメリカ疾病予防管理センター (CDC) へ書簡を送り、何百人もの黒人を放置し、治療できる病で死なせることについての倫理的懸念を表明した。CDCは、全員が死亡するまで研究は継続される必要があると主張した。1972年バクストンは大手マスコミへ話を持ち込み、大衆の抗議が引き起こされた。結果として、実験プログラムは終了し、訴訟によって900万ドルが被害者に支払われた。そして議会は、将来このような事態が起こることを防ぐための規制を作成する委員会を立ち上げた[58]

1994年に結成されたTuskegee Syphilis Study Legacy Committee の尽力によって、1997年5月16日、大統領ビル・クリントンによる政府を代表しての研究への謝罪に同席するため、生存者らはホワイトハウスに招待された[61]

また、梅毒の実験は1946年から1948年にかけてグアテマラでも行われた。これはアメリカ合衆国の後援を受けた人体実験で、フアン・ホセ・アレヴァロ英語版大統領の時代にグアテマラの保健省と役人の協力のもと行われた。医師は兵士、受刑者、精神障害者に対し、参加者のインフォームド・コンセントなしに梅毒や他の性感染症を感染させ、その後抗生物質によって治療した。2010年、アメリカ合衆国はこれらの実験についてグアテマラに公式に謝罪した[62]

根絶

2015年、キューバは梅毒の母子感染が根絶された、世界で最初の国となった[63]

関連項目

出典

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