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アメリカの反リベラル運動に「ゲーム」が利用されていることの意味

NPC=頭空っぽリベラルとは何か?
アメリカの反リベラル運動では、リベラル勢力を揶揄するのにビデオゲームのアナロジーが用いられることがある。昨秋の中間選挙ではその一つである「NPC」という語がインターネット上に溢れ、さらには大手メディアの紙面にも登場することとなった。ネットが現実に介入し、イデオロギーの「陣地」を書き換えることはもはや当然の事態になっている——このほど『ニック・ランドと新反動主義』(星海社新書)を上梓した木澤佐登志氏のレポート。
 

それは人間か、ボットか

2018年に公開されたディズニー長編アニメーション映画『シュガー・ラッシュ:オンライン』を観ていて、気になったことがある。本作はインターネットの世界が舞台だ。主人公であるゲームキャラクターのラルフとヴァネロペをはじめとして、オンラインゲームのキャラクターたち、擬人化されたサーチエンジン、さらにはやはり擬人化されたイーベイの決済アルゴリズムやスパムサイトのアルゴリズム等々、多彩なキャラクターたちが活き活きと描き出されている。

だが一方で、インターネットの世界に登場する人間たちは、どれも個性を欠いた画一的なアバターを身にまとい、人格や内面を感じさせることがまるでない。人間のほうがまるでボットやNPC(non-player characters:ノンプレイヤーキャラクター・人間が操作しないキャラクターのこと)のような挙動で振る舞い、それに対して擬人化されたアルゴリズムのほうがよほど人間らしく個性豊かに描かれているという転倒した構造。

現代のインターネットにおいては人の行動や意思決定はアルゴリズムに深くコントロールされている。そうしたネットとユーザーの関係性を風刺するために上述のような人間とアルゴリズムの転倒した描写がなされているのだとしたら、とても面白い。

それでなくとも実際、たとえばボットなのか人間なのか一見して判断のつきにくいツイッターアカウントに遭遇したことのある人は多いはずだ。一見意味の通る発言(ツイート)をしていても、それが中に人がいることの証左には必ずしもならない。ここからパラノイアが生まれる。

〔PHOTO〕iStock

「魂を持たぬ人々」への注目

2016年7月7日、英語圏の匿名掲示板4chanのある板にひとつのスレッドが立てられた。そこは/v/ という、主にビデオゲームに関するトピックを扱う板で、かつてゲーマーゲート(後述)の初期の震源地ともなった場所でもあった。さて、「お前はNPCか?」というタイトルでそのスレッドを立てた人物は、本文の中で以下のような奇妙な持論を展開している。

いわく、この地球上には固定した量の魂しか存在せず、それは輪廻を通じて不断に循環している。だが地球の人口増加率は加速度的に上昇しているので、魂のない、抜け殻の肉塊が不可避的に発生し、私たちの周りをうろついているはずだという。それが(彼の呼ぶ)NPCだ。NPC、それはまったくの畜群(normalfags)であり、人間のようにもっともらしく振る舞うために社会のトレンドを追い、集団的思考に追随していくだけの存在。

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