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巨人ドラ1→スカウト→社会人野球で現役復帰 桜井俊貴「うまくなりたい」

2024年05月05日10時30分

 豪快な投げっぷり、ピンチでの眼光の鋭さ。マウンドでの立ち振る舞いは、「GIANTS」のユニホームを着ていた数年前のまま。4月25日、社会人野球のJABA京都大会でミキハウスの桜井俊貴投手(30)が力投した。2022年のオフにプロ野球巨人を戦力外となり、現役を退いてスカウトに転身して1年。そして今季、ステージを変えて現役に復帰した。「新人のつもりで、若々しくやっている」。はにかみながら、そう話す元ドラフト1位右腕の新たな挑戦が始まった。(時事通信大阪支社編集部 堀川祐)

試合視察を通じ「またやりたい」

 兵庫・北須磨高から立命館大を経て巨人入りした桜井にとって、社会人野球の経験は初めて。「プロは『個人』という感じがあるけれど、社会人は企業の一体感がすごい。違った感覚でマウンドに上がれている」。その表情に、充実感がにじむ。チームのグラウンドは三重県伊賀市にある。家族と住む京都府内の自宅から往復でおよそ3時間の日々にも、「もう慣れた」。自身の所属部署は物流管理部で、今は業務を免除され、野球だけに集中できている。

 大学時代は関西学生野球で最優秀選手に2度輝くなど、リーグを代表する本格派として鳴らした。ドラフト1位で2016年に巨人に入団。4年目の19年に8勝を挙げてリーグ優勝に貢献した。その後は思うような結果を残せず、7年間の現役生活で110試合に登板して13勝12敗。巨人でのスカウトでは、関西・中国地区を担当した。NTT西日本からドラフト4位で入団し、開幕1軍をつかんだルーキーの泉口友汰内野手は桜井が見てきた選手だ。「ドラフト候補とか関係なく、いろんな選手を見られたことはすごくよかった」。即戦力の視点から将来性や資質を探る目まで、深い洞察力が求められる稼業。新米スカウトとして、「プロの1軍と比べてしまうというか。『プロに行けるかな?』と湧いてこない感覚もあった」との苦悩もあったという。

 精力的に仕事をこなしていた中で、転機が訪れた。社会人野球を視察していた昨年6月頃。「いろいろと試合を見ていくうちに、また(野球を)やりたいなという気持ちになってきた」。引退した時に吹っ切れたはずの思いが、再び心中に宿った。早速、行動に移す。「そのタイミングが合わなかったら、(現役復帰は)なかったかもしれない」と語る偶然の出会いがあった。視察予定だった高校野球の試合が中止となり、母校・立命館大の練習を見に行くと、野球部OB会の会長、藤岡重樹さんと話をする機会に恵まれた。

筋肉痛も、体にむち打って

 桜井が尋ねた。「野球、できないですかね?」。そこでは世間話程度だったが、数カ月後に事態が動きだす。藤岡さんはかつてミキハウス野球部の前身、ミキハウスREDSの監督を務めていたことがあり、その関係からミキハウスでプレーするという話が持ち上がった。ドラフト会議に向けてスカウト業務が最も忙しい時期だっただけに、決断は下さずにいた。ただし、家族をはじめ高校や大学時代の監督らには相談。「びっくりする人もいたが、やりたいことをやった方がいいという声が多かった」。周囲から背中を押され、胸の内で意思は固まったかと思いきや、そうではなかった。「気持ちはまだ半分もなかったと思う。体がどうかなという不安もあった」と打ち明ける。

 ドラフト会議が終わり、仕事もいったん一区切り。久々にボールを投げてみた。「痛みがあったら多分無理だったけど、それがなかったのが一番大きかった」。復帰に向け、覚悟を決めた。母校の施設を借りて練習を重ねる。ネットスローなどで感覚を確かめ、「投げられることは投げられる。もっと投げていけば状態は上がる」と実感。当初はまともにキャッチボールもできずにいたが、違和感はそれほどなかった。ただ、体力面にはブランクを感じ「1年間走らなかった反動はあった。しんどかったし、筋肉痛もすごかった」。今でこそ笑顔で振り返るが、アスリートの体に再び戻す作業は試練そのもの。だからこそ、徹底的に追い込んだ。チームに合流後のランニング練習では常に若手に食らいつくことを自らに課して、体にむちを打った。

凡事徹底を心掛ける

 「野球自体は一緒。どこを目指すかがちょっと違うけど」と語るように、基本の部分はプロでもアマチュアでも変わらない。新鮮なことも多かった。チームには上下関係というより「みんなで一緒に底上げしていく」雰囲気がある。それが、がむしゃらに野球と向き合う今の自分に合っている。試合では凡事徹底をより心掛けるようになった。平凡な内野ゴロでも、打者走者は全力疾走する。だからベースカバーは全力でやると決めている。「一つのミスで塁を進められるのが一番悔しい。一個ずつアウトを取ることが大事」

 実戦が始まった今年1月。思うような投球ができず、もがいた。ブルペンでは納得のいく球を投げられても試合では痛打されることが多く、「打者への感覚がなかなか戻らなかった。正直どうなるか不安だった」と明かす。3カ月ほどが過ぎ、4月下旬のJABA京都大会初戦の東芝戦で、ようやく良い兆しが現れた。ミキハウス入り後、公式戦3試合目の先発。1―2と惜敗したものの、自身最長の8回(完投)を投げて2失点と好投した。球場は、わかさスタジアム京都。大学時代に何度も投げたマウンドだ。「これまで投げてきた中で一番良かった。ポイントをつかんだ」。球速ではなくテンポを意識したり、左足を上げるスピードを変えたりして打者の反応を鈍らせた。直球は140キロ台後半をマークし、大きく曲がるカーブなど変化球も順調に見えた。「いろいろ試しながらやって、いい形にはなってきている。あとは微調整」。表情は明るかった。

「戸郷フォーク」で進化

 「うまくなりたい気持ちは、何歳になってもある」。30代になったばかり。向こう10年、40歳まで野球を続けるために、貪欲な姿勢が変わることはない。新たに取り組んでいることを問うと、こんな答えが返ってきた。「最近も戸郷にフォークの投げ方を聞いた。LINEで『ちょっと教えて』という感じで」。巨人時代は感触が良くなく封印していた球種を、投球の幅を広げるために使い始めたかったという。今や巨人の若きエース格でもある戸郷翔征投手からヒントをもらった。伝授された通りに磨き上げ、「空振りもいっぱい取れている」と満足げだ。

 今のモチベーションは7月の都市対抗大会に出場すること。慣れ親しんだ東京ドームが舞台となる。「数多く投げた球場。違った形だが、また投げられる可能性があるので(そこで)投げたい」。投手陣の中心として近畿地区大会予選を勝ち抜き、チームを4年連続の本戦出場へと導くつもりだ。第2の野球人生は始まったばかり。「まだ30歳なので。自分がどれだけやるか」。伸びしろを信じて、ひたすら腕を振る。

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