水俣市は、九州西部の不知火海(八代海)に面した町である。
1953年末から、水俣湾沿岸の漁村を中心に”奇妙な病気”が発生しはじめた。多くのひとが手や口にしびれを感じ、手足がふるえて思うように動かすことができず、歩く様子は酔っぱらいのようであった。口からは長い涎を垂らし、話しが聞き取れず、眼も見えにくくなっていった。やがて寝込んでしまい、およそ数カ月で死んでゆくものが、約半数をしめた。いわゆる「水俣病」の始まりである。
水俣市の有機化学工場(チッソ水俣工場)が流したメチル水銀が、水俣湾の魚介類に蓄積した。それら中毒化した魚介類を摂取することで、多数の湾岸住民の脳が傷害され、「急性水俣病」急性メチル水銀中毒症が発生した。
また妊婦が摂取したメチル水銀は、臍帯をとおして胎児の脳を傷害し、生まれた子供は脳性麻痺様の症状をしめした。「胎児性水俣病(先天性メチル水銀中毒症)」が発生した。
さらに、水俣湾から不知火海に放出先を変更し、かつ行政がそれを看過したことで、不知火海全域に様々な程度のメチル水銀中毒症が広がる結果になった。
この不知火海はその周囲を島と陸地で囲まれた湖のような内海である。このなかに20年にわたってメチル水銀を流しつづけてきた。この海に強く依存する、魚介類、水鳥、ネコや家畜、人、そして胎児まで影響をうけた。それは壮大な実験にも似ていた。
現在世界は、メチル水銀の胎児にあたえる影響を研究しはじめている。日常食べる魚のなかに、メチル水銀が含まれていることが明らかになったからである。そして、メチル水銀の影響をより小さくするための取り組みをおこなっている。
日本の水俣病は、これらの研究にどれくらいの貢献をしたのだろうか?
「水俣病の教訓を活かす」あるいは「No More Minamata Disease 」というとき、なにが教訓になったか、あるいは何をくり返さないのかと自問してみる。
数百トンの水銀(現在の日本の水銀ボタン電池での水銀消費量の数百年分)は依然として水俣湾や不知火海にあるが、これらがどのように生態系に影響を及ぼしているのか? 胎児期や小児期に神経細胞に影響をうけた多くが、現在不知火沿岸に暮らしているが、老化が進むにつれ新たな症状が出現することはないのか?
わたしたちは、この不幸な実験にたいする結果を把握、認識することではじめて、次ぎのステップに踏み出せる。そのことが世界にメチル水銀中毒を起こさないための「教訓」を発信できることになることにつながると思う。
このホームページは、まず水俣病をより科学的に知ってもらい。それが現在地球レベルで問題になっている水銀汚染にどのように繋がっているのか、それを理解することで、実際の生活レベルの水銀問題に対処するときに役立ってほしいと思います。
水俣病関係学術資料収集 医学担当
(二宮、他)
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